世田谷にある謎の隠れ家「修平庵」庵主が綴る週末雑記帖
 
S50系猿楽町
先日の「出没!アド街ック天国」観たお友だちいますかね?出没エリアは“神田猿楽町”。そう言ってもあんまりピンと来ないだろうな、たぶん。JR水道橋駅と御茶ノ水駅の間、駿台カルチェラタンのとちの木通りから男坂&女坂を下った谷間の2丁目までしかない小さな町だ。正式な町名は“神田”が付かないただの猿楽町。代官山のオシャレなほうの猿楽町と区別するために坂上の神田駿河台にならってこの通称になっているのだと思うけど、まあマイナーな町ですよ確かに。だだ庵主の個人史的にはこの界隈、かなり重要な位置を占めているのである。東京に出てきて初めて通ったデザイン専門学校も、卒業して初めてアルバイトで入った出版社も、そして初めて正社員になった写植屋もみんなこの町にあったのだ。30年以上も前、しかも僅か4年とちょっとの関わりだったけど、感慨深くないわけないがないじゃないか。
ということで、「アド街」を食い入るように観たわけだ。今回は神田駿河台も含めたエリアになっていたので上位には山の上ホテルや文化学院、アテネフランセなどの有名処が入っていたのだが、当時からレトロだった「喫茶ぺぺ」や「森田屋パン店」明大の「師弟食堂」なんていう懐かしスポットもランクインしていて嬉しかった。庵主が通った東京デザイナー学院は入っていなかったけど、文化学院やアテネフランセには知名度が劣るのでこれはしょうがない。その教室から見えたオンボロビルの屋上を紙飛行機の着地地点として遊んでいた庵主は、やがてそこでアルバイトをすることになるなんて思ってもいなかったのだが、その小さな出版社も今はメジャー企業になり番町方面の大きなビルに引っ越している。しかしオンボロビルはリノベーションされてはいるが今も健在で、東京デザイナー学院の別館になっているのは妙な縁だ。
もちろん初就職した写植屋ももうそこにはない。あの界隈、当時は写植屋・製版屋など出版を取り巻く業種の会社がたくさんあったもんだが、今は写植も製版もデザイナー自らがやってしまうデジタル時代、死語になりつつある写植屋さんなんて生き残るのは難儀な世の中だ。哀しいね。当時、庵主がデザイン修行として選んだ版下職人としての技巧もMACの前じゃ為すすべもないし…。とはいいつつ、デザイン学校→出版社→写植屋と猿楽町界隈と関わってきた4年間があってこそ今があるわけで、様変わりしてもやっぱり庵主にとっては重要なエリアであるのは間違いない。
そういえば、あのエリアの絶品カレー屋として「カーマ」と「メーヤウ」がランクインしていたけれど、当時の庵主にとっては「喫茶豆の木」のカレーがナンバーワンだった。例のボロビルの出版社の向かいにあった古家リノベーションの先駆者的なこの「豆の木」、カレーも珈琲も美味い上にやたら居心地のいい空間が庵主は大好きだったのに、グーグルマップで調べても見当たらないので残念に思っていた。ところがいろいろ検索してみると、今は「佳庵」と名前を変え九段のほうで営業しているのを突き止めた。しかしパスタ料理中心の店に変わっていてどうやらカレーはもう出していない様子。あ〜再びザンネン。デザイナー学院の学食カレーはまだあるのかな?カレーに目がない庵主さえ世界一マズイと思ったあのカレー。肉の変わりにハムカツが入っていたあのカレー。あれは残ってなくていいです…。

「懐かしい本と雑貨・修平庵」は
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出版社に入ってその週にいきなり徹夜で版下作業を手伝わされたプログラム。初めての写植切り貼りの緊張感をこれを見ると今でも思い出す。
【2010.03.01 Monday 08:33】 author : 修平庵
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